私ども古美術・骨董えんやでは、東京都三鷹市において骨董品、古美術品、工芸品、掛軸、中国骨董品、中国古美術品、仏教古美術品、仏教絵画掛軸、朝鮮古美術、朝鮮民画掛軸、中国古陶磁器、朝鮮古陶磁器、高麗青磁、李朝白磁、唐物骨董品、唐物書画掛軸、安南古陶磁器、南蛮古美術品、桃山古陶磁器、桃山古書画掛軸、現代工芸品、人間国宝(重要無形文化財保持者)などの工芸品、文化勲章受章者の作品、現代美術品などの買取・査定・鑑定を行っております。三鷹市への出張買取はもちろん、店頭買取・持込買取(東京都渋谷区広尾本店)、宅配買取も行っております。又、メール、ライン画像による簡単無料買取査定も受け付けておりますので、お気軽にご利用下さい。
お持込買取の際は不在にしていることもございますので必ず事前のアポイントメントをお願い致します。また宅配買取の場合、発送前に一度ご連絡ください。発送時の注意点等お伝え事項がございます。
東京都三鷹市周辺地域は太古の時代より湧き水が多く出る所であり、その周りに人々が昔より住みつき、各時代別の遺跡が出土しています。16世紀に入ると三鷹市周辺は戦国武将・北条氏の支配地となり、江戸時代に入ると現在の三鷹市牟礼、大沢が幕府の直轄地となり現三鷹市新川、中原は戦国武将柴田勝家の孫、柴田勝重の所領となりました。又、明暦、方治の大火により焼き出された神田連雀町の人々が転居し開墾したのが現三鷹市下連雀です。さらに玉川上水の開発などにより開かれたのが三鷹市連雀、野崎、野川などで、その後徳川八代将軍吉宗の享保の改革により武蔵野新田開発が行われ、三鷹市井口、深大寺、大沢、野崎などの村々が誕生しました。
明治維新後、周辺10ヶ村が合併し三鷹村となりました。三鷹村の三鷹とは府中領、世田谷領、野方領の三領にまたがった鷹場があった事からの由来とされています。戦前にはいくつもの飛行機製造工場があり、工場従事者を中心に4万人もの住人が三鷹村に集まり三鷹町に改偏されています。この様な発展を遂げてきた三鷹市には古くから代々続いている旧家や古いものが好きで集めていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
お手持ちの古美術品、骨董品、中国古美術品などを売却される場合には古美術・骨董えんやまで買取・査定をご用命下さい。三鷹市在住の現代工芸家を挙げると、まず竹工芸家の三代池田瓢阿を上げることができます。池田瓢阿とは祖父・初代池田瓢阿が茶人であり数奇者の益田鈍翁の求めに応じ小堀遠州所持の瓢籠を模造しその技術力を益田鈍翁に認められ、瓢阿と号を授けられたのが始まりで、二代池田瓢阿も同じく益田鈍翁より薫陶を受けています。三代池田瓢阿は昭和26年(1951年)東京都に二代目池田瓢阿の次男として生まれます。武蔵野美術大学卒業後、竹芸の道を目指し、平成5年(1993年)二代目池田瓢阿のあとを継ぎ三代目池田瓢阿を襲名、竹に関する茶道具類や籠などを精力的に制作しています。兄の池田厳も漆芸家として活躍しています。三代目池田瓢阿は三鷹市井の頭に自宅兼工房を構え、息子の池田泰輔とともに日々研賛をつんでいます。
三鷹市には池田瓢阿の竹籠などをお持ちの方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。お手持ちの池田瓢阿の竹工芸作品をご売却の際は古美術・骨董えんやまで買取・査定をご用命下さい。三鷹市まで出張にて買取にお伺い致します。その他に、現代近代陶芸作家の作品や漆芸家の蒔絵などの作品、彫刻、仏像、金工家の作品など、古美術品、骨董品を幅広く買取・査定致します。「売却しようか、売るのはやめようかな…」とお悩みの場合はぜひ古美術・骨董えんやまでご相談下さい。
又、相続によって譲り受けた遺品のお品物であっても、使用する方がいらっしゃらない場合や申し訳ないけど趣味が合わない相続品、まったく興味がない場合やもうすでに持っている場合、置く場所や管理する場所がない場合など相続した遺品の行く末にお悩みの方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。その様に相続後、遺品の整理にお困りの際は古美術・骨董えんやまでご相談下さい。さらに相続相談を引き受けていらっしゃる弁護士、税理士、司法書士などの方々からも多くのご相談を承っております。弁護士、税理士、司法書士の方からのご相談も心よりお待ちしております。
その他、不動産業、解体業の方々からのご依頼もお待ちしております。不動産売却販売物件先、または解体現場まで出張にてお伺いし、買取査定致しますので何なりとご相談下さい。まずは買取専用フリーダイヤル0120-808-896またはメール、ライン画像による簡単無料買取・査定までお気軽ご連絡下さい。