私ども古美術・骨董えんやでは、東京都板橋区において骨董品、古美術品、工芸品、掛軸、中国骨董品、中国古美術品、仏教古美術品、仏教絵画掛軸、朝鮮古美術、朝鮮民画掛軸、中国古陶磁器、朝鮮古陶磁器、高麗青磁、李朝白磁、唐物骨董品、唐物書画掛軸、安南古陶磁器、南蛮古美術品、桃山古陶磁器、桃山古書画掛軸、現代工芸品、人間国宝(重要無形文化財保持者)などの工芸品、文化勲章受章者の作品、現代美術品などの買取・査定・鑑定を行っております。東京都板橋区への出張買取はもちろん、店頭買取・持込買取(東京都渋谷区広尾本店)、宅配買取も行っております。又、メール、ライン画像による簡単無料買取・査定も受け付けておりますので、お気軽にご利用下さい。
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東京都板橋区には多くの彫刻家が活動していました。桜井祐一も板橋区で活動していた彫刻家の一人です。彫刻家の桜井祐一は山形県米沢市に1914年誕生します。上京後、彫刻界の大家で、のちに文化勲章受章を受章した平櫛田中に師事します。数々の賞を受章し院展の同人となりますが、新海竹蔵、山本豊市らとSAS(彫刻家集団)を結成したのち、国画会彫刻部創立メンバーに参加します。1980年、第一回高村光太郎賞を受章しますが、翌年、おしまれながら板橋区の病院にて生涯をとじます。
同じく、彫刻家の石井鶴三は板橋区中丸に自宅兼アトリエを構えていました。石井鶴三は1887年台東区に、日本画家、石井鼎湖の三男として生まれます。長兄は画家の石井柏亭で、幼少の頃より絵画などにふれる機会が多くありました。18才の時、小山正太郎が主講する不同舎に入塾し、1年程絵画の勉強をし、その後高村光雲の門下で遠縁の加藤景雲に木彫を学びます。東京芸術大学彫刻家科に入学、研究科には高村光雲の息子高村光太郎がいました。在学中に、兄、石井柏亭の友人、洋画家山本鼎の紹介で漫画雑誌「東京パック」の記者になります。同寮には、山本鼎をはじめ、坂本繁二郎、近藤浩一路、川端龍子などがいました。23才の時、山本鼎とともに信州長野を旅した際、日本アルプスの雄大さに感銘し、以後、石井鶴三の作品制作に大きな影響を与えます。もう1つ、石井鶴三に大きな影響を与えたのは、彫刻家の佐藤朝山との出合いです。佐藤朝山(佐藤玄々)の紹介により、日本美術院研究所に入所し、絵画、彫刻、両方の研鑽に努めます。同研究所には、当時、佐藤朝山をはじめ、平櫛田中、中原悌二郎、戸張孤雁、堀進二、保田龍門などがおり、交互に影響を受け与えながら成長するには絶好の環境でありました。34年の時に板橋区板橋町中丸にアトリエを構築、相撲好きが高じ、庭には土俵を作り、相撲を取りました。晩年まで、まわしをつけ、若者とともに相撲に興じました。
石井鶴三は、相撲にまつわるスケッチや彫刻、版画、絵画などを数多く残しています。その後、石井鶴三は、東京芸術大学教授、名誉教授を歴任し、87才の生涯を板橋区の自宅にてとじます。その他、彫刻家の古賀忠雄、瀬戸剛も板橋区にゆかりのある作家です。金工作家の関谷四郎は、板橋区大宮口に工房を構え、鍛金の作品を制作し続けました。鍛金は、金属を金槌などで打って延したり、絞ったり、曲げたり、結合したりして形成する金工技法の一つです。関谷四郎は接合せという金属を鑞(ろう)付する技法を得意とし、多くの作品を生み出しました。1977年、鍛金の重要無形文化財に認定されます。1994年、板橋区の病院にて生涯を終えます。ここに挙げました作家は、板橋区にて活動しており、板橋区内には彼らの作品が多く所蔵されていることでしょう。お手持ちの作品をご売却、ご検討の際は、古美術・骨董えんやまでご用命下さい。
又、相続によって譲り受けた遺品のお品物であっても、使用する方がいらっしゃらない場合や申し訳ないけど趣味が合わない相続品、全く興味がない場合やもうすでに持っている場合、置く場所や管理する場所がない場合など相続した遺品の行く末にお悩みの方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。
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