私ども古美術・骨董えんやでは、東京都北区において、絵画、掛軸、版画、板画(棟方志功)、油絵、水彩画、仏教絵画、中国絵画、中国掛軸、韓国現代絵画、朝鮮絵画、朝鮮民画掛軸、水墨山水画掛軸、曼荼羅(曼陀羅)掛軸などの買取・査定・鑑定を行っています。東京都北区への出張買取はもちろん、店頭買取・持込買取(東京都渋谷区広尾本店)、宅配買取も行っております。又、メール、ライン画像による簡単無料買取・査定も受け付けておりますので、お気軽にご連絡下さい。
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東京都北区には明治の終わりから昭和の初めにかけ文士や芸術家が集まり、田端文士村と呼ばれるコミュニティーを形成していました。北区田端は江戸時代には農村でしたが、北区本線の田端駅ができると住宅地へと変ぼうして行きます。東京美術学校(現東京芸術大学)が上野に出来ると、その芸大生達が多く住む様になります。田端文士村の火付け役とされるのが、画家の小杉未醒(小杉放菴)です。小杉放菴は当初、郷土の西洋画家、五百城文哉に学び、のちに小山正太郎に入門します。1913年、フランスに留学しますが、現地で見た池大雅の絵画に感銘を受け、日本画家への転向を決意します。帰国後、二科会、日本美術院に入会し出品しますが、それぞれ脱退し、森田恒友、山本鼎、倉田白羊、足立源一郎らと春陽会を設立し活動の拠点とします。
この他には、石井柏亭、石井鶴三、岩田専太郎、小穴隆一、竹久夢二、村山槐多、中川一政なども北区田端の文士村で活動していた画家達です。又、日本画家の那波多目功一は北区西ヶ原在住の画家の一人です。那波多目功一は1933年茨城県に生まれます。父で日本画家の那波多目煌星は20年間にも渡り、院展に落選しつづけた画家だったそうで、その汚名をはらすために、那波多目功一は画家になったと言われています。この様に東京都北区にゆかりのある画家は多く在住し、多くの作品を残していることでしょう。
この東京都北区において古美術・骨董えんやは、絵画、掛軸、版画、中国古書画、油絵、ヨーロッパ、アメリカ絵画、版画などの買取・査定・鑑定を行っております。お手持ちの絵画、掛軸、版画等をご売却の際は古美術・骨董えんやまでご用命下さい。又、相続によって譲り受けた遺品のお品物であっても、使用する方がいらっしゃらない場合や申し訳ないけど趣味が合わない相続品、全く興味がない場合やもうすでに持っている場合、置く場所や管理する場所がない場合など相続した遺品の行く末にお悩みの方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。
その様に相続後、遺品の整理にお困りの際は古美術骨董えんやまでご相談下さい。さらに相続相談を引き受けていらっしゃる弁護士、税理士、司法書士などの方々からも多くのご相談を承っております。弁護士、税理士、司法書士の方からのご相談も心よりお待ちしております。
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