私ども絵画買取えんやでは、長野県飯田市において、絵画、掛軸、版画、板画(棟方志功)、油絵、水彩画、仏教絵画、中国絵画、中国掛軸、韓国現代絵画、朝鮮絵画、朝鮮民画掛軸、水墨山水画掛軸、曼荼羅(曼陀羅)掛軸などの買取・査定・鑑定を行っています。飯田市への出張買取はもちろん、店頭買取・持込買取・宅配買取も行っております。又、メール、ライン画像による簡単無料買取査定も受け付けておりますので、お気軽にご利用下さい。
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長野県飯田市周辺地域は芸術家・美術家の宝庫と呼べる程美術意識の高い地域といえるでしょう。例えば、日本画家の菱田春草も飯田市出身です。飯田市に生まれた菱田春草は、東京美術学校(現 東京芸術大学)に入学します。最後の狩野派と言われる橋本雅邦に師事し、同門に横山大観、下村観山がいました。その後、東京美術学校で日本画の教師に就きますが、同校校長の岡倉天心が辞任すると、行動を共にし、横山大観、下村観山、西郷孤月らと共に日本美術院に移ります。その後横山大観とインドへ。岡倉天心、横山大観とアメリカ、ヨーロッパへ遊学します。インドでに体験は菱田春草にかなりの影響を与えたようで、帰国前の仏画と帰国後の仏画を見比べると、観念的な仏からより人間味のある仏へと変化しています。惜しまれるなか37歳の若さでこの世を去られていますが、友でありライバルであった日本画の大家、横山大観はのちに「春草の方が上手かった」「春草が生きていれば、私の日本画も10年は進歩した」と述べたと言われています。
須山計一も飯田市出身の画家です。須山計一は洋画家であり漫画家、漫画研究家でもありました。長野県立飯田高等学校を出て、東京美術学校西洋画科をに入学します。そこで藤島武二に師事します。一方日本漫画連盟にも参加。その後日本プロレタリア文芸美術部に所属したりした為、昭和8年治安維持法違反で検挙割れます。その後中国大陸、満州、朝鮮半島を歴訪し、見聞を広めました。戦時中親交のあった石井柏亭の野尻湖畔の別荘に疎開して作画などをしていました。戦後もソ連や新中国などへ出品したり旅行したり勢力的に活動します。プロレタリア美術運動の先駆け者であり、洋画家、漫画家でもあった須山計一の作品は飯田市美術館に所蔵されている他、飯田市にある須山計一記念館でも見ることができます。
また忘れてならないのが、飯田市生まれの洋画家オノサトトシノブですオノサトトシノブは津田青風に師事。中国、シベリアを経て帰国後、赤・黄・紺・緑の4色を主体として円を描き続け、友人の瑛九とともに前衛美術の道を突き進みます。瑛九、白井一雄、田中敦子、菅生吸、山口長男、上前智祐などと並び称される幾何学文様抽象画の人気作家です。近年とみに人気がでておりますので、油絵はもちろん版画・シルクスクリーン版画でも買取対象となる絵画です。
飯田市には飯田市立美術館があり、飯田市出身の画家や美術家の作品を見ることができます。また飯田市出身以外の画家による絵画も楽しむことができます。日本画の菱田春草、横山大観、下村観山、西郷弧月、木村武山、佐竹蓬平、富岡鉄斎、幸野 楳嶺、野口幽谷、竹内栖鳳、川合玉堂、川端玉章、松本鳳湖、狩野芳崖、橋本雅邦、田能村直人、木島桜谷、中村不折、岸駒や書家の中村椿竹、日下部鳴鶴などが所蔵されています。洋画家では須田剋太、大森運夫、オノサトトシノブ、草間彌生、宮坂勝、石井柏亭などが拝観できます。このような飯田市美術館に所蔵・展示される絵画をお持ちの方でご売却を検討されている方は是非古美術骨董えんやまで買取査定をご用命下さい。
日本画・洋画のみならず、中国古画、中国現代絵画、中国書画、朝鮮書画、ヨーロッパ絵画、アメリカ現代絵画、アメリカ現代版画なども買取査定、鑑定致しますのでお気軽にご相談下さい。まずは買取専用ダイヤル0120−808−896又はメール、LINE(ライン)買取査定にてお気軽にご相談下さい。