私ども絵画買取えんやでは、福島県須賀川市において、絵画、掛軸、版画、板画(棟方志功)、油絵、水彩画、仏教絵画、中国絵画、中国掛軸、韓国現代絵画、朝鮮絵画、朝鮮民画掛軸、水墨山水画掛軸、曼荼羅(曼陀羅)掛軸などの買取・査定・鑑定を行っています。福島県須賀川市への出張買取はもちろん、店頭買取・持込買取、宅配買取も行っております。又、メール、ライン画像による簡単無料買取・査定も受け付けておりますので、お気軽にご連絡下さい。
お持込買取の際は不在にしていることもございますので必ず事前のアポイントメントをお願い致します。また宅配買取の場合、発送前に一度ご連絡ください。発送時の注意点等お伝え事項がございます。
福島県須賀川市の歴史は古く旧石器時代の乙字ヶ滝遺跡や奈良、平安時代の上人壇廃寺跡などの史跡が残り、須賀川市が昔より地理的に重要な地域であった事を物語っています。江戸時代には白河藩の領地となり奥州街道の宿場町として繁栄し俳諧や俳画などの町人文化が開花しました。俳人・松尾芭蕉も奥の細道の旅途中で須賀川宿に数日滞在しています。
又、江戸中期には洋風画家で銅版画の先駆者でもあった亜欧堂田善が陸奥国須賀川(現在の福島県 須賀川市)に生まれています。亜欧堂田善は須賀川の商家の次男として生まれ、兄の跡を継ぎ商家の主人となりますが、絵画の才を白河藩主松平定信に見出され、白河藩御用絵師となり、同じく白河藩の御用絵師筆頭だった谷文晁に師事します。そして谷文晁より洋風絵画を学び、長崎へ向かい銅版画を学びます。そして白河藩主松平定信よりアジアとヨーロッパを亘るという意味の亜欧堂という号を授けられます。亜欧堂田善はその後司馬江漢にも師事しています。晩年の亜欧堂田善は白河藩が桑名へ転封となった折に御用絵師を辞して須賀川にて銅版画や洋風日本画を地元民の為に描いて過ごしました。1822年(文政5年)亜欧堂田善は75才で生涯を終え、亡骸は須賀川北町の禅寺・長禄寺に葬られました。
この様に福島県須賀川には多くの文化人、画家が活動の場として多くの絵画、掛け軸、屏風、巻物、画帖、扁額などを残していると考えられます。絵画買取では須賀川市にある絵画や掛け軸、屏風、巻物などの買取・査定を行っております。お手持ちの絵画、掛け軸、屏風、巻物などのご売却の際は絵画買取えんやまで買取・査定をご用命下さい。須賀川市まで出張にてお伺いし買取致します。
又、日本の古書画掛け軸や、仏教絵画、文人画、俳画、禅画、書などの買取・査定のみならず、中国古書画掛軸や中国書、中国仏画、中国曼荼羅(曼陀羅)、高麗仏画掛軸、李朝民画掛軸などの買取・査定にも力を入れております。さらに、近代・現代の日本画、洋画、版画の買取・査定も強化しております。日本画家の横山大観や菱田春草、下村観山、竹内栖鳳、小林古径、土田麦僊、酒井三良、千住博、片岡球子、藤田嗣治、林武、東郷青児、香月泰男、熊谷守一、児玉幸雄、田崎広助、野間仁根、草間彌生、絹谷幸二、奈良美智、森本草介、白髪一雄など、版画家の棟方志功、駒井哲郎、斉藤清など幅広く買取・査定致します。有名人気作家はもちろんですが、無名の画家(プロに限る)や若手の作品なども買取対象となりますのでご安心下さい。
又パブロ・ピカソ、マルク・シャガール、ベルナール・ビュッフェ、アンディ・ウォーホルなども買取・査定致しますので、ぜひご売却の際は絵画買取えんやまでご相談下さい。又、相続によって譲り受けた遺品のお品物であっても、使用する方がいらっしゃらない場合や申し訳ないけど趣味が合わない相続品、まったく興味がない場合やもうすでに持っている場合、置く場所や管理する場所がない場合など相続した遺品の行く末にお悩みの方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。その様に相続後、遺品の整理にお困りの際は絵画買取えんやまでご相談下さい。
さらに相続相談を引き受けていらっしゃる弁護士、税理士、司法書士などの方々からも多くのご相談を承っております。弁護士、税理士、司法書士の方からのご相談も心よりお待ちしております。その他、不動産業、解体業の方々からのご依頼もお待ちしております。不動産売却販売物件先、または解体現場まで出張にてお伺いし、買取・査定致しますので何なりとご相談下さい。
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