私ども茶道具買取えんやでは和歌山県紀の川市において、茶道具、茶器、煎茶器、中国茶道具、中国茶器、中国古陶磁器、朝鮮古陶磁器、唐物茶道具、唐物茶器、南蛮茶器、安南茶器、李朝茶碗、高麗茶碗、桃山茶道具、桃山茶器、墨蹟書画掛軸、大徳寺系禅僧書画掛軸、お点前用の茶道具・茶器のみならず、お稽古用の茶道具、茶器などの買取・査定・鑑定を行っております。和歌山県紀の川市への出張買取はもちろん、店頭買取・持込買取(えんや東住吉店:大阪市東住吉区中野3-1-13 エヌ・ケービル3F (株式会社エヌ・ケー興産内))、宅配買取も行っております。又、メール、ライン画像による簡単無料買取・査定も受け付けておりますので、お気軽にご利用下さい。
お持込買取の際は不在にしていることもございますので必ず事前のアポイントメントをお願い致します。また宅配買取の場合、発送前に一度ご連絡ください。発送時の注意点等お伝え事項がございます。
茶道具は歴史を有するものですが、和歌山県紀の川市での活動に見られるように、近年は茶道自体が気軽かつ身近に触れ合える存在になりました。そんな紀の川市の歴史を遡っていくと、2人の歴史的茶人が出てきます。藤堂高虎と上田宗箇です。藤堂高虎は武将ながら、茶の湯にも造詣が深かった文化人。また千利休の侘茶精神を継いだ、当代きっての茶人・小堀遠州と義理の親子関係で、高虎の養女が正室として嫁いだとされています。遠州は自身の茶会にも義父を招いているものの、それは親子関係云々ではなく、高虎の心得を評価していたのかもしれません。さらに高虎は作庭の腕前も一流で、京都二条城をはじめ、和歌山城や今治城といった戦国時代の名城を多く請け負ったことでも知られています。かつて紀の川市に存在した、猿岡山城(現:秋葉公園)もその1つです。
一方の上田宗箇は、その猿岡山城の目と鼻の先にある粉河寺の庭園を手がけた武将。また藤堂高虎同様、作庭や茶の湯といった教養も兼ねた文化人として語り継がれています。茶の湯にいたっては千利休の門下生であったとされ、古田織部との親交も深かったそうです。藤堂高虎とも同年代で、粉河寺庭園も猿岡山城築城の数年後とされています。2人の接点を確認できる資料は現時点では見つかっていないものの、似たような系譜を持つ者同士、何か奇遇な因果もありそうなところ。とはいえ、現代の紀の川市における茶道文化の繁栄に、この2人が大きく関係していることは間違いなさそうです。
茶道具買取えんやでは、茶の湯との接点を多く持つ和歌山県紀の川市で、茶道具・茶器・煎茶器の買取、査定や鑑定も積極的に実施しています。茶道具・茶器・煎茶器を売却する際は、ぜひ茶道具買取えんやまでご用命ください。丁寧に対応させていただきます。また昨今は千家十職の買取頻度が高まるなか、紀の川市においても例外ではありません。
【千家十職とは】
茶の湯の世界では「職家」とも呼ばれ、茶道工芸の最高峰として名高い千家十職。どの職家も概ね400年という古い歴史を持ち、また一子相伝のスタイルで何十代にわたり現代に「わざ」を残しています。職家のような伝統を継承する茶道具のつくり手は日本で唯一、作品の完成度も類を見ません。それ故に千家十職の手がける器や釜、屏風などは非常に高い価値を有するのです。
楽吉左衛門(茶椀師)
西村善五郎(土風炉・焼物師)
奥村吉兵衛(表具師)
飛来一閑(一閑張細工師)
黒田正玄(竹細工・柄杓師)
土田友湖(袋師)
中川浄益(鋳師)
駒澤利斎(指物師)
大西清右衛門(釜師)
中村宗哲(塗師)
表千家や裏千家が「点前(てまえ)」の際に用いる道具一式の査定・鑑定はもちろん、稽古で使われる茶道具・茶器・煎茶器の買取も対応しております。茶室を設ける寺社仏閣が歴史的な茶道具を所持するケースも多く、そうした買取実績も豊富です。紀の川市を拠点とするハウスメーカーや工務店などが、施主から茶室の依頼を受けることが多いといわれているのも、それだけ茶道文化が浸透している証拠かもしれません。
実は、古代中国・朝鮮の茶道具、はたまた日本の歴史的な茶器の買取が多いのも、紀の川市という土地柄ならではの特徴です。主な買取例として、中国古染付茶器や南蛮古陶磁器、安南茶器、朝鮮茶碗、桃山茶陶などが挙げられます。おかげさまで中国製や朝鮮製などに見られる、時代特有の査定および鑑定ノウハウにも定評をいただいております。茶道具・茶器・煎茶器の売却をご希望される際は、安心してご連絡ください。
まずは、買取専用フリーダイヤル0120-808-896またはメール、ライン画像による簡単無料買取・査定までお気軽にご連絡下さい。