私ども茶道具買取えんやでは大分県豊後高田市において、茶道具、茶器、煎茶器、中国茶道具、中国茶器、中国古陶磁器、朝鮮古陶磁器、唐物茶道具、唐物茶器、南蛮茶器、安南茶器、李朝茶碗、高麗茶碗、桃山茶道具、桃山茶器、墨蹟書画掛軸、大徳寺系禅僧書画掛軸、お点前用の茶道具・茶器のみならず、お稽古用の茶道具、茶器などの買取・査定・鑑定を行っております。大分県豊後高田市への出張買取はもちろん、店頭買取・持込買取、宅配買取も行っております。又、メール、ライン画像による簡単無料買取・査定も受け付けておりますので、お気軽にご利用下さい。
お持込買取の際は不在にしていることもございますので必ず事前のアポイントメントをお願い致します。また宅配買取の場合、発送前に一度ご連絡ください。発送時の注意点等お伝え事項がございます。
大分県豊後高田市で茶道具の売買を検討しているなら、何を置いても“九州最強の武将”として語り継がれている「立花宗茂」のコレクションです。天下の豊臣秀吉をもって「西国無双」と言わしめた側面には、周囲を引き寄せる多芸な才覚もありました。
六郷満山の麓に名残をとどめる筧城跡、豊後高田市街地から車で15分ほど奥地に進んだ、この長岩谷地区での出生説が伝承されている立花宗茂。まだ4歳にして小学校低学年並みの体躯を有し、成人後の人物像される「六尺超の大男」といった記述も頷けるところです。
関ヶ原の戦いにおいて西軍についたことで地位を剥奪されるも、間もなくして大名に復帰できたのは、勇猛智略に優れていただけでなく茶道などから得た“人徳”だったといわれています。茶道の腕前や知識は、利休七哲の1人に数えられる細川忠興も一目置いたほど。2代将軍・徳川秀忠は、良き聞き役として自身の側に立花宗茂を置いたと伝えられています。茶道具に関しても立花家資料館(福岡県柳川市)の所蔵する約5000点ものコレクション群が有名で、立花宗茂の愛用品では「唐物茶壺」が代表的です。立花家のコレクションの中には、千家2代目「千少庵」・武者小路千家初代家元「一翁宗守」・小堀遠州流十二代目「小堀宗舟」が愛用していた茶杓、銘「旬雨」が所蔵されております。古くから豊後高田市にお住いのご自宅にも、歴史的価値を持つお茶道具が眠っているかもしれません。
【豊後高田市のお茶道具買取品目】
棚、水屋、釜、炉縁、台子、風炉先、茶壺、結界、立礼セット、懐石セット、電熱風炉釜、茶器、前茶器
茶道具買取えんやでは、茶の湯との接点を多く持つ豊後高田市で、茶道具・茶器・煎茶器の買取、査定や鑑定も積極的に実施しています。昨今は千家十職の買取頻度が高まるなか、豊後高田市においても例外ではありません。
【千家十職とは】
茶の湯の世界では「職家」とも呼ばれ、茶道工芸の最高峰として名高い千家十職。どの職家も概ね400年という古い歴史を持ち、また一子相伝のスタイルで何十代にわたり現代に「わざ」を残しています。職家のような伝統を継承する茶道具のつくり手は日本で唯一、作品の完成度も類を見ません。それ故に千家十職の手がける器や釜、屏風などは非常に高い価値を有するのです。
【千家十職のご紹介】
樂吉左衛門(茶碗師)
土田友湖(袋師)
飛来一閑(一閑張細工師)
黒田正玄(竹細工・柄杓師)
駒澤利斎(指物師)
中村宗哲(塗師)
大西清右衛門(釜師)
中川浄益(鋳師)
永樂善五郎(土風炉・焼物師)
奥村吉兵衛(表具師)
表千家・裏千家・武者小路千家からなる三千家をはじめ、各流派の家元が「点前(てまえ)」の際に用いる道具一式の査定・鑑定はもちろん、稽古で使われる茶道具・茶器・煎茶器の買取も対応しております。
茶道具は歴史を有するものですが、豊後高田市での活動に見られるように、近年は茶道自体が気軽かつ身近に触れ合える存在になりました。茶道具・茶器・煎茶器を売却する際は、ぜひ茶道具買取えんやまでご用命ください。丁寧に対応させていただきます。
実は、古代中国・朝鮮の茶道具、はたまた日本の歴史的な茶器の買取が多いのも、大分県豊後高田市という土地柄ならではの特徴です。主な買取例として、中国古染付茶器や南蛮古陶磁器、安南茶器、朝鮮茶碗、桃山茶陶などが挙げられます。おかげさまで中国製や朝鮮製などに見られる、時代特有の査定および鑑定ノウハウにも定評をいただいております。茶道具・茶器・煎茶器の売却をご希望される際は、安心してご連絡ください。
まずは買取専用フリーダイヤル0120-808-896またはメール、ライン画像による簡単無料買取・査定までお気軽にご連絡下さい。