私ども茶道具買取えんやでは長野県飯山市において、茶道具、茶器、煎茶器、中国茶道具、中国茶器、中国古陶磁器、朝鮮古陶磁器、唐物茶道具、唐物茶器、南蛮茶器、安南茶器、李朝茶碗、高麗茶碗、桃山茶道具、桃山茶器、墨蹟書画掛軸、大徳寺系禅僧書画掛軸、お点前用の茶道具・茶器のみならず、お稽古用の茶道具、茶器などの買取・査定・鑑定を行っております。長野県飯山市への出張買取はもちろん、店頭買取・持込買取(長野本店、松本店、長野市店、飯田店、伊那店、上田店)、宅配買取も行っております。又、メール、ライン画像による簡単無料買取・査定も受け付けておりますので、お気軽にご利用下さい。
お持込買取の際は不在にしていることもございますので必ず事前のアポイントメントをお願い致します。また宅配買取の場合、発送前に一度ご連絡ください。発送時の注意点等お伝え事項がございます。
江戸時代中期~幕末にかけて茶道文化が興隆した長野県飯山市。1994年に飯山城址公園から多くの茶道具などが出土され、知られざる歴史が明らかになりました。この布石を敷いたのが、皆川広照と佐久間兄弟です。江戸時代の黎明期に飯山藩主として城代に就いた、大名茶人の異名をとることで知られています。
1603年に飯山城代に座った皆川広照は「山上宗二記」と呼ばれる、千利休直伝の茶道指南書を託された1人。山上宗二は千利休の側近として、まだ師が無名の時から約20年も仕えており、利休七哲をはじめとする数多の弟子とは一線を画す大茶人です。この皆川広照の茶道精神に端を発し、1616年には佐久間安政が飯山市に招かれます。
兄・佐久間安政と弟・佐久間勝之は、会津時代の蒲生氏郷に仕えた名参謀。利休七哲の顔も持つ蒲生氏郷に茶の湯を学んだとされ、これが飯山藩主につながった説もあります。また弟の佐久間勝之は古田織部との交流も深かったといわれており、兄の領地と隣接する長沼城主(現在の長野市)に座りました。
冒頭の出土品からは、美濃焼や瀬戸焼と古田織部ゆかりの茶道具も発見されているだけに、佐久間兄弟が敷いた布石を伺わせるところです。一方、近年の飯山市では森川賢道の煎茶椀が買取市場で人気傾向です。旧飯山北高校出身の森川賢道は鋳金作家として活躍し、日本煎茶工芸展で「込型鋳銅 灰炉」が入賞するなど、茶道具の評価も高めつつあります。
茶道具買取えんやでは、茶の湯との接点を多く持つ飯山市で、茶道具・茶器・煎茶器の買取、査定や鑑定も積極的に実施しています。特に、利休七哲や古田織部が使用していた価値あるお茶道具をお持ちでしたら是非、茶道具買取えんやにお声掛け下さいませ。
茶聖「千利休」の茶流を現代もなお正統に受け継ぐ三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)ですが、その三千家の家元が好むお茶道具を専属で制作する千家十職の作品を飯山市において強化買取しております。
【千家十職とは】
茶の湯の世界では「職家」とも呼ばれ、茶道工芸の最高峰として名高い千家十職。どの職家も概ね400年という古い歴史を持ち、また一子相伝のスタイルで何十代にわたり現代に「わざ」を残しています。職家のような伝統を継承する茶道具のつくり手は日本で唯一、作品の完成度も類を見ません。それ故に千家十職の手がける器や釜、屏風などは非常に高い価値を有するのです。
【千家十職のご紹介】
樂吉左衛門(茶碗師)
土田友湖(袋師)
飛来一閑(一閑張細工師)
黒田正玄(竹細工・柄杓師)
駒澤利斎(指物師)
中村宗哲(塗師)
大西清右衛門(釜師)
中川浄益(鋳師)
永樂善五郎(土風炉・焼物師)
奥村吉兵衛(表具師)
表千家や裏千家・武者小路千家が「点前(てまえ)」の際に用いる道具一式の査定・鑑定はもちろん、稽古で使われる茶道具・茶器・煎茶器の買取も対応しております。その他にも、各流派の家元が愛用していた価値あるお茶道具を飯山市にお住いの方で、売却を検討されている場合は是非、茶道具買取えんやにご相談下さい。
茶道具は歴史を有するものですが、飯山市での活動に見られるように、近年は茶道自体が気軽かつ身近に触れ合える存在になりました。茶道具・茶器・煎茶器を売却する際は、ぜひ茶道具買取えんやまでご用命ください。丁寧に対応させていただきます。
実は、古代中国・朝鮮の茶道具、はたまた日本の歴史的な茶器の買取が多いのも、長野県飯山市という土地柄ならではの特徴です。主な買取例として、中国古染付茶器や南蛮古陶磁器、安南茶器、朝鮮茶碗、桃山茶陶などが挙げられます。おかげさまで中国製や朝鮮製などに見られる、時代特有の査定および鑑定ノウハウにも定評をいただいております。茶道具・茶器・煎茶器の売却をご希望される際は、安心してご連絡ください。
まずは買取専用フリーダイヤル0120-808-896またはメール、ライン画像による簡単無料買取・査定までお気軽にご連絡下さい。