私ども茶道具買取えんやでは三重県亀山市において、茶道具、茶器、煎茶器、中国茶道具、中国茶器、中国古陶磁器、朝鮮古陶磁器、唐物茶道具、唐物茶器、南蛮茶器、安南茶器、李朝茶碗、高麗茶碗、桃山茶道具、桃山茶器、墨蹟書画掛軸、大徳寺系禅僧書画掛軸、お点前用の茶道具・茶器のみならず、お稽古用の茶道具、茶器などの買取・査定・鑑定を行っております。三重県亀山市への出張買取はもちろん、店頭買取・持込買取(鈴鹿店)、宅配買取も行っております。又、メール、ライン画像による簡単無料買取・査定も受け付けておりますので、お気軽にご利用下さい。
お持込買取の際は不在にしていることもございますので必ず事前のアポイントメントをお願い致します。また宅配買取の場合、発送前に一度ご連絡ください。発送時の注意点等お伝え事項がございます。
「蒲生氏郷の茶道具が眠る」との説も根付く三重県亀山市。蒲生氏郷といえば勇猛果敢な戦国武将で知られながら、実は利休七哲の筆頭に挙げられる茶人としての顔も持ちます。そのいわれは、蒲生氏郷が亀山城主を務めた約8年間というのが有力説です。
幼くして織田信長に見込まれ、その才能は豊臣秀吉を脅かすほどだったと伝えられる蒲生氏郷。茶の湯に関しは古田織部、細川幽斎と細川忠興の親子といった、同じく利休七哲に数えられる茶人とも交流を深めていたといわれています。
また千利休の死後、その息子である千少庵を匿った逸話も。千少庵といえば、のちに3人の孫が茶道流派「三千家」を立ち上げています。いわば蒲生氏郷なくして、現代に至る表千家・裏千家・武者小路千家、ひいては千家十職も存続しなかったことでしょう。
そんな蒲生氏郷は、千家十職の古参である楽家の「早船」を所有していたことで有名です。楽家初代・長次郎作の名碗で、千利休が愛用したのち蒲生氏郷に渡ったとされています。これは亀山市での発見ではありませんが、次なる世紀の大発見の候補地に亀山市を挙げる専門家は少なくないようです。
茶道具買取えんやでは、茶の湯との接点を多く持つ亀山市で、茶道具・茶器・煎茶器の買取、査定や鑑定も積極的に実施しています。昨今は千家十職の買取頻度が高まるなか、亀山市において「蒲生氏郷」や「三千家」の歴代家元が愛用したお茶道具が所蔵されていると考えられます。
【千家十職とは】
茶の湯の世界では「職家」とも呼ばれ、茶道工芸の最高峰として名高い千家十職。どの職家も概ね400年という古い歴史を持ち、また一子相伝のスタイルで何十代にわたり現代に「わざ」を残しています。職家のような伝統を継承する茶道具のつくり手は日本で唯一、作品の完成度も類を見ません。それ故に千家十職の手がける器や釜、屏風などは非常に高い価値を有するのです。
(千家十職のご紹介)
楽吉左衛門(茶碗師)
永樂善五郎(土風炉・焼物師)
奥村吉兵衛(表具師)
飛来一閑(一閑張細工師)
黒田正玄(竹細工・柄杓師)
土田友湖(袋師)
中川浄益(鋳師)
駒澤利斎(指物師)
大西清右衛門(釜師)
中村宗哲(塗師)
表千家や裏千家・武者小路千家をはじめ各流派の家元が「点前(てまえ)」の際に用いる道具一式の査定・鑑定はもちろん、稽古で使われる茶道具・茶器・煎茶器の買取も対応しております。勿論、千利休・利休七哲が愛用した希少価値の高いお茶道具を所蔵されており、売却をご検討の方がいらっしゃいましたら是非、お声掛け頂けますと幸いです。亀山市のご自宅まで、お茶道具専門の鑑定士がお伺いしお品物に見合った買取をさせて頂きます。
茶道具は歴史を有するものですが、亀山市での活動に見られるように、近年は茶道自体が気軽かつ身近に触れ合える存在になりました。茶道具・茶器・煎茶器を売却する際は、ぜひ茶道具買取えんやまでご用命ください。丁寧に対応させていただきます。
実は、古代中国・朝鮮の茶道具、はたまた日本の歴史的な茶器の買取が多いのも、三重県亀山市という土地柄ならではの特徴です。主な買取例として、中国古染付茶器や南蛮古陶磁器、安南茶器、朝鮮茶碗、桃山茶陶などが挙げられます。おかげさまで中国製や朝鮮製などに見られる、時代特有の査定および鑑定ノウハウにも定評をいただいております。茶道具・茶器・煎茶器の売却をご希望される際は、安心してご連絡ください。
まずは買取専用フリーダイヤル0120-808-896またはメール、ライン画像による簡単無料買取・査定までお気軽にご連絡下さい。