私ども茶道具買取えんやでは神奈川県小田原市において、茶道具、茶器、煎茶器、中国茶道具、中国茶器、中国古陶磁器、朝鮮古陶磁器、唐物茶道具、唐物茶器、南蛮茶器、安南茶器、李朝茶碗、高麗茶碗、桃山茶道具、桃山茶器、墨蹟書画掛軸、大徳寺系禅僧書画掛軸、お点前用の茶道具・茶器のみならず、お稽古用の茶道具、茶器などの買取・査定・鑑定を行っております。小田原市への出張買取はもちろん、店頭買取・持込買取(東京都渋谷区広尾本店)、宅配買取も行っております。又、メール、ライン画像による簡単無料買取・査定も受け付けておりますので、お気軽にご利用下さい。
お持込買取の際は不在にしていることもございますので必ず事前のアポイントメントをお願い致します。また宅配買取の場合、発送前に一度ご連絡ください。発送時の注意点等お伝え事項がございます。
神奈川県小田原市は戦国時代、北条氏の拠点として繁栄していましたが、北条氏は茶道を好んで普及していた為、茶道、茶趣にも造詣が深いのが小田原という地域の特徴です。明治時代に入ると小田原藩の後盾を失った茶道関係者達は一時散逸しますが、明治時代末から昭和にかけて小田原の三茶人・益田鈍翁、野崎幻庵、松永耳庵と称された数寄者茶人が小田原市内に別邸を作り、茶室を邸内に作って晩年を過ごしたりしました。
益田鈍翁は現小田原市板橋に「掃雲台」を、野崎幻庵は現小田原市南町に「自怡荘」を、後に小田原市城山に「安閑草舎」を造成したことにより多くの茶人が集まったり、茶会が開かれたりと茶道文化が小田原市域に根付いていく原動力となりました。
太平洋戦争中は一時期、茶道は下火となりますが1946年に電力王松永安左エ門(松永耳庵)が小田原市板橋に「松下亭」のちの「老欅荘」を建築し移住したことにより松永耳庵を中心とした茶道環境が隆盛し、再び小田原の地に茶人、政・財界人の集まりが出来ました。では、なぜ小田原に益田鈍翁、野崎幻庵、松永耳庵などの近大茶人と呼ばれる人々が集まってきたのか?一説によると豊臣秀吉の小田原北条氏攻めの際に茶頭だった千利休や北条幻庵に仕えていた千利休の高弟・山上宗二などが茶室を造ったり、茶会を開いたりしていた小田原に益田鈍翁が惹かれて居を構えたのが始まりと言われています。
この様な歴史的に茶道文化が根付いてきた小田原市には古くから伝わる茶道具・茶器・煎茶器などが所蔵されていると考えられます。桃山茶陶や唐物茶道具、高麗茶碗、禅僧墨蹟、禅画、幕末から明治期の煎茶道具などお手持ちの古美術的、時代茶道具・茶器をご売却の際は茶道具買取えんやまで買取・査定をご用命下さい。小田原市域どちらへでも出張にてお伺いし買取致します。店頭買取・持込買取(要予約)をご希望の場合は渋谷区広尾本店及び町田市南町田店にて対応致しますのでお気軽にご来店下さい。
茶道具買取えんやでは古い茶道具・茶器・煎茶器のみならず現代の茶道具・茶器・煎茶器の買取・査定にも力を入れております。表千家、裏千家、武者小路千家をはじめ、久田流、堀内流、小堀遠州流、藪内流、山田宗徧流、速水流、石州流、江戸千家川上不白流、大日本茶道学会(田中仙樵)など各流派の茶道具・茶器・煎茶器を買取・査定致します。 特に表千家、裏千家など各流派の家元、宗匠の書付のある茶道具・茶器や家元の自筆の茶杓。抹茶茶碗、竹花入、自筆の茶掛軸、色紙、短冊などや千家十職(樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎)と呼ばれる作家達の作る茶道具・茶器などは需要が高く、一点一点での買取・査定が可能な茶道具・茶器となりますのでご売却のご用命は茶道具買取えんやまでご相談下さい。
茶道具買取えんやではお点前用の茶道具・茶器のみならず、お稽古用の茶道具・茶器・煎茶器も買取・査定致しますのでお気軽にご相談下さい。又、相続によって譲り受けた遺品のお品物であっても、使用する方がいらっしゃらない場合や申し訳ないけど趣味が合わない相続品、まったく興味がない場合やもうすでに持っている場合、置く場所や管理する場所がない場合など相続した遺品の行く末にお悩みの方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。
その様に相続後、遺品の整理にお困りの際は茶道具買取えんやまでご相談下さい。さらに相続相談を引き受けていらっしゃる弁護士、税理士、司法書士などの方々からも多くのご相談を承っております。弁護士、税理士、司法書士の方からのご相談も心よりお待ちしております。その他、不動産業、解体業の方々からのご依頼もお待ちしております。不動産売却販売物件先、または解体現場まで出張にてお伺いし、買取査定致しますので何なりとご相談下さい。まずは買取専用フリーダイヤル0120-808-896またはメール、ライン画像による簡単無料買取・査定までお気軽にご連絡下さい。