私ども茶道具買取えんやでは神奈川県川崎市において、茶道具、茶器、煎茶器、中国茶道具、中国茶器、中国古陶磁器、朝鮮古陶磁器、唐物茶道具、唐物茶器、南蛮茶器、安南茶器、李朝茶碗、高麗茶碗、桃山茶道具、桃山茶器、墨蹟書画掛軸、大徳寺系禅僧書画掛軸、お点前用の茶道具・茶器のみならず、お稽古用の茶道具、茶器などの買取・査定・鑑定を行っております。川崎市への出張買取はもちろん、店頭買取・持込買取(東京都渋谷区広尾本店)、宅配買取も行っております。又、メール、ライン画像による簡単無料買取・査定も受け付けておりますので、お気軽にご利用下さい。
お持込買取の際は不在にしていることもございますので必ず事前のアポイントメントをお願い致します。また宅配買取の場合、発送前に一度ご連絡ください。発送時の注意点等お伝え事項がございます。
神奈川県川崎市には茶道具・茶器を数多く制作した陶芸家が生まれています。浜田庄司がその人です。浜田庄司は1894年、現川崎市高津区溝の口に生まれます。濱田庄司は幼少より絵を描くことを好み、又、日常生活の道具類にも興味を示します。東京府立一中(東京都立日比谷高等学校)を卒業後、東京工業高等学校(現東京工業大学)窯芸科に入学し、そこで板谷波山に出会います。板谷波山の授業は主に科学の基礎を学ぶもので実際に作陶することはほとんどなく、物理や数学などの吸収に努めます。
東京工業高等学校卒業後、二年先輩の河井寛次郎が務めていた京都市立陶芸試験場に入所し、染付や釉薬の研究に没頭します。そして京都にて柳宗悦、富本憲吉、バーナードリーチらと知り合います。特にバーナードリーチとは親交が深まり、1920年バーナードリーチと共にイギリスへ渡り3年間イギリスにてスリップウェアなどの作陶をします。帰国後、柳宗悦、河井寛次郎、芹沢銈介らと共に民衆の工芸の中に美を認める民芸運動に参加し、用の美、実用品としての陶芸を目指します。そして1930年益子焼の産地、栃木県益子に築窯し作陶活動を行いました。1955年濱田庄司はその功績が認められ第一回の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されます。1964年には紫綬褒章、1968年には文化勲章を受章しています。
川崎市が誇る陶芸家・浜田庄司は1978年83才にしてその陶芸家人生を終え、川崎市高津区溝の口にある宗隆寺に帰り永眠します。茶道具買取えんやでは、川崎市にゆかりの濱田庄司作の茶道具・茶器を探しております。お手持ちの濱田庄司作の茶道具・茶器をご売却の際は茶道具買取えんやまでご相談下さい。
茶道具買取えんやでは浜田庄司や河井寛次郎、板谷波山などの人気陶芸家の茶道具のみならず、表千家、裏千家、武者小路千家の三千家をはじめ久田流、堀内流、山田宗偏流、藪内流、大日本茶道学会(田中仙樵)、江戸千家流(川上不白)、片桐石州流など各流派の茶道具・茶器を買取・査定致します。特に需要が高いのがお点前用の茶道具・茶器で、家元、宗匠の自筆の茶掛軸や、自作の茶杓、茶碗、花入などや、書付のある好みの茶道具・茶器などは需要も高く、一点一点お値段の付く可能性が高い茶道具・茶器となっておりますので、ご売却のご相談はぜひ茶道具買取えんやまでお願い致します。さらに、お点前用の茶道具のみならずお稽古用の茶道具・茶器・煎茶器なども買取対象となりますので、ご売却の際は茶道具買取えんやまで買取・査定をご用命下さい。
又、相続によって譲り受けた遺品のお品物であっても、使用する方がいらっしゃらない場合や申し訳ないけど趣味が合わない相続品、まったく興味がない場合やもうすでに持っている場合、置く場所や管理する場所がない場合など相続した遺品の行く末にお悩みの方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。その様に相続後、遺品の整理にお困りの際は茶道具買取えんやまでご相談下さい。さらに相続相談を引き受けていらっしゃる弁護士、税理士、司法書士などの方々からも多くのご相談を承っております。弁護士、税理士、司法書士の方からのご相談も心よりお待ちしております。
その他、不動産業、解体業の方々からのご依頼もお待ちしております。不動産売却販売物件先、または解体現場まで出張にてお伺いし、買取査定致しますので何なりとご相談下さい。まずは買取専用フリーダイヤル0120-808-896またはメール、ライン画像による簡単無料買取・査定までお気軽にご連絡下さい。