私ども茶道具買取えんやでは岐阜県下呂市において、茶道具、茶器、煎茶器、中国茶道具、中国茶器、中国古陶磁器、朝鮮古陶磁器、唐物茶道具、唐物茶器、南蛮茶器、安南茶器、李朝茶碗、高麗茶碗、桃山茶道具、桃山茶器、墨蹟書画掛軸、大徳寺系禅僧書画掛軸、お点前用の茶道具・茶器のみならず、お稽古用の茶道具、茶器などの買取・査定・鑑定を行っております。岐阜県下呂市への出張買取はもちろん、店頭買取・持込買取、宅配買取も行っております。又、メール、ライン画像による簡単無料買取・査定も受け付けておりますので、お気軽にご利用下さい。
お持込買取の際は不在にしていることもございますので必ず事前のアポイントメントをお願い致します。また宅配買取の場合、発送前に一度ご連絡ください。発送時の注意点等お伝え事項がございます。
岐阜県下呂市は、土地柄を生かした茶道文化が根差しています。日本三名泉の1つに数えられる下呂温泉は、JR下呂駅の周辺に温泉街を形成する飛騨地方の観光スポット。40以上ある温泉付き宿泊施設のなかには、茶室をもうけるところも少なくありません。また白川郷を彷彿させる合掌づくりの温泉旅館などでは、その風情を楽しめる四季折々の茶会も企画します。こうした情緒あふれる和のもてなしは、下呂温泉街にとどまりません。
隣のJR禅昌寺駅には駅名にもなるほどの名刹があり、本格的な茶の湯を満喫できます。武家茶人「金森宗和」が築いた庭園と茶室で高名な禅昌寺です。金森宗和の祖父と父が、かつてこの飛騨高山を領地としていました。千利休の自害後、息子・千道安は豊臣秀吉から逃れるため、高山城に身を移したとされています。この時に匿ったのが、千利休の門下であった祖父・金森長近らです。長近の継子・金森可重は千道安から茶道を学び、金森宗和も幼くして薫陶を受けて育ったといわれています。
のちに金森宗和は京都に出て公家衆との交流を広げ、茶人として名を馳せました。私淑していた古田織部の「歪み」とは対照的の雅な「姫宗和」という茶の湯を流行らせたと伝えられています。この京都時代には、茶室や庭園のプロデュース的なこともしていたそうです。なお禅昌寺の作庭年については、明らかにされていません。
茶道具買取えんやでは、茶の湯との接点を多く持つ下呂市で、茶道具・茶器・煎茶器の買取、査定や鑑定も積極的に実施しています。昨今は千家十職の買取頻度が高まるなか、下呂市においても例外ではありません。
【茶道具売却における千家十職一覧】
・楽吉左衛門
楽焼の茶椀を作る茶椀師として、歴代の楽家当代が襲名する名称
・飛来一閑
「一閑張」と呼ばれる漆工芸の一種で、一閑張細工師の当主が代々受け継ぐ屋号
・大西清右衛門
400年以上の歴史を有する京釜師。1993年に16代目が襲名した
・中村宗哲
茶道具の塗師を専業とし、12代目と13代目は女性が襲名したことで話題になった
・駒沢利斎
三千家御用達の指物師として、炉縁・香合・棚などの製作にあたる
・土田友湖
仕覆・角帯・服紗などを専業に製作する袋師
・黒田正玄
竹細工や柄杓づくりほか、香合・台子・花入といった竹を用いた茶道具も製作
・永楽善五郎
京焼の家元である土風炉・焼物師として代々、茶椀や土風炉を専門に製作
・中川浄益
京都を拠点に代々、精巧な金工技術を継承してきた、茶道具の製作を主軸とする金物師
・奥村吉兵衛
風炉先屏風や軸装などの製作にあたる三千家御用達の表具師
表千家や裏千家が「点前(てまえ)」の際に用いる道具一式の査定・鑑定はもちろん、稽古で使われる茶道具・茶器・煎茶器の買取も対応しております。茶室を設ける寺社仏閣が歴史的な茶道具を所持するケースも多く、そうした買取実績も豊富です。岐阜県下呂市を拠点とするハウスメーカーや工務店などが、施主から茶室の依頼を受けることが多いといわれているのも、それだけ茶道文化が浸透している証拠かもしれません。
茶道具は歴史を有するものですが、下呂市での活動に見られるように、近年は茶道自体が気軽かつ身近に触れ合える存在になりました。茶道具・茶器・煎茶器を売却する際は、ぜひ茶道具買取えんやまでご用命ください。丁寧に対応させていただきます。
実は、下呂市で古代中国・朝鮮の茶道具、はたまた日本の歴史的な茶器の買取が多いのも、岐阜県下呂市という土地柄ならではの特徴です。主な買取例として、中国古染付茶器や南蛮古陶磁器、安南茶器、朝鮮茶碗、桃山茶陶などが挙げられます。おかげさまで中国製や朝鮮製などに見られる、時代特有の査定および鑑定ノウハウにも定評をいただいております。茶道具・茶器・煎茶器の売却をご希望される際は、安心してご連絡ください。
まずは買取専用フリーダイヤル0120-808-896またはメール、ライン画像による簡単無料買取・査定までお気軽にご連絡下さい。下呂市近隣エリアも出張買取対応しておりますので、お気軽にお問合せくださいませ。