私ども茶道具買取えんやでは愛媛県松山市において、茶道具、茶器、煎茶器、中国茶道具、中国茶器、中国古陶磁器、朝鮮古陶磁器、唐物茶道具、唐物茶器、南蛮茶器、安南茶器、李朝茶碗、高麗茶碗、桃山茶道具、桃山茶器、墨蹟書画掛軸、大徳寺系禅僧書画掛軸、お点前用の茶道具・茶器のみならず、お稽古用の茶道具、茶器などの買取・査定・鑑定を行っております。愛媛県松山市への出張買取はもちろん、店頭買取・持込買取、宅配買取も行っております。又、メール、ライン画像による簡単無料買取・査定も受け付けておりますので、お気軽にご利用下さい。
お持込買取の際は不在にしていることもございますので必ず事前のアポイントメントをお願い致します。また宅配買取の場合、発送前に一度ご連絡ください。発送時の注意点等お伝え事項がございます。
松山藩の中心地である愛媛県松山市は、愛媛県庁を膝元に置く松山城をもって、当時からの茶道文化を現代に伝承しています。その幕開けとされるのが、徳川家康の甥にあたる松平定行の時代です。いわゆる外様封じとして、1635年に松山藩主を命じられた松平定行。そこから明治維新まで松平家の支配下が続くものの、初代藩主が嗜んだ茶の湯の仕来りも伝承されていくことに。
ちなみに松山城は1601年に築かれており、茶室を備えた二の丸が完成したのは松平定行の就任直前といわれています。また藩には、松平家以前から茶を好む風土があったようで、由緒ある武士や豪商などの邸宅には茶席が設けられていたそうです。こうしたタイミングも相まってか、松平定行の振る舞いは藩下に追い風となったのかもしれません。
松平定行が本格的に茶道にのめり込んだのは、隠居後のことで、その際には城外の東野地区に茶事専用の御殿を建てたほど。ちょうど現在の松山城から3キロほど東方に進んだ、愛媛大付属高校の付近とされています。御殿の建設には裏千家6代・六閑斎(宗安)が監修にあたり、その後も親交を深めていったようです。松平政権は時流とともに衰退したものの、裏千家の活動が現代まで続いていることを考えると、当時からの茶道具が多く松山市に残されていても何ら不思議ではないでしょう。
茶道具買取えんやでは、三千家の一つ裏千家との接点を多く持つ松山市で、茶道具・茶器・煎茶器の買取、査定や鑑定も積極的に実施しています。昨今は千家十職の買取頻度が高まるなか、松山市においても例外ではありません。
【千家十職とは】
茶の湯の世界では「職家」とも呼ばれ、茶道工芸の最高峰として名高い千家十職。どの職家も概ね400年という古い歴史を持ち、また一子相伝のスタイルで何十代にわたり現代に「わざ」を残しています。職家のような伝統を継承する茶道具のつくり手は日本で唯一、作品の完成度も類を見ません。それ故に千家十職の手がける器や釜、屏風などは非常に高い価値を有するのです。
【千家十職のご紹介】
楽吉左衛門(茶椀師)
永樂善五郎(土風炉・焼物師)
奥村吉兵衛(表具師)
飛来一閑(一閑張細工師)
黒田正玄(竹細工・柄杓師)
土田友湖(袋師)
中川浄益(鋳師)
駒澤利斎(指物師)
大西清右衛門(釜師)
中村宗哲(塗師)
表千家や裏千家・武者小路千家をはじめ、各流派の家元が「点前(てまえ)」の際に用いる道具一式の査定・鑑定はもちろん、稽古で使われる茶道具・茶器・煎茶器の買取を松山市において積極的に対応しております。
茶道具は歴史を有するものですが、松山市での活動に見られるように、近年は茶道自体が気軽かつ身近に触れ合える存在になりました。茶道具・茶器・煎茶器を売却する際は、ぜひ茶道具買取えんやまでご用命ください。丁寧に対応させていただきます。
実は、古代中国・朝鮮の茶道具や日本の歴史的な茶器の買取が多いのも、愛媛県松山市という土地柄ならではの特徴です。主な買取例として、中国古染付茶器や南蛮古陶磁器、安南茶器、朝鮮茶碗、桃山茶陶などが挙げられます。おかげさまで中国製や朝鮮製などに見られる、時代特有の査定および鑑定ノウハウにも定評をいただいております。茶道具・茶器・煎茶器の売却をご希望される際は、安心してご連絡ください。
まずは買取専用フリーダイヤル0120-808-896またはメール、ライン画像による簡単無料買取・査定までお気軽にご連絡下さい。松山市にお住いの方からのご依頼をスタッフ一同心よりお持ちしております。