私ども茶道具買取えんやでは愛知県稲沢市において、茶道具、茶器、煎茶器、中国茶道具、中国茶器、中国古陶磁器、朝鮮古陶磁器、唐物茶道具、唐物茶器、南蛮茶器、安南茶器、李朝茶碗、高麗茶碗、桃山茶道具、桃山茶器、墨蹟書画掛軸、大徳寺系禅僧書画掛軸、お点前用の茶道具・茶器のみならず、お稽古用の茶道具、茶器などの買取・査定・鑑定を行っております。愛知県稲沢市への出張買取はもちろん、店頭買取・持込買取、宅配買取も行っております。又、メール、ライン画像による簡単無料買取・査定も受け付けておりますので、お気軽にご利用下さい。
お持込買取の際は不在にしていることもございますので必ず事前のアポイントメントをお願い致します。また宅配買取の場合、発送前に一度ご連絡ください。発送時の注意点等お伝え事項がございます。
織田信長の生誕地は諸説あるなかで近年、最有力視されているのが愛知県稲沢市です。織田信長は現在の稲沢市平和町に存在した、勝幡城で生まれたといわれています。そんな信長といえば、無類の“茶道具好き”で有名です。これをよく表しているのが信長特有の政策「御茶湯御政道」で、「おんちゃのゆごせいどう」と読みます。
この御茶湯御政道を端的に説明すると、茶道具や茶会の利点を生かした「報奨制度」です。信長は優秀な家臣に茶道具を与えたり、武勇を挙げた大名を茶席に招いたりする、いわゆる“アメとムチ”を上手に使いこなして天下統一を遂げました。さらに信長は御茶湯御政道の事前に、全国の大名や僧侶などに向けて「名物狩り」も命じています。
このワンマン政権によって、信長は最上級の茶器や茶道具を数多く手にしました。当時の大名は、いわば信長の掌で上手く転がされていたのです。この一連の政策における代表例に、柴田勝家に与えた茶釜の話が挙げられます。名物狩りで強引に奪った「天猫姥口釜」という茶釜を、武勇を挙げた柴田勝家に報奨として与えたと伝えられる逸話の1つです。
これらとは別に、本能寺の変が起こる前夜、まるで異変を知らせるかの如く鳴きだした香炉「三足の蛙」など、信長は自身にまつわる茶道具エピソードを多く持つことでも知られています。稲沢市で茶道具を売買する際には、織田信長ゆかりの茶器に着目してみるのも一手です。
茶道具買取えんやでは、茶の湯との接点を多く持つ稲沢市で、茶道具・茶器・煎茶器の買取、査定や鑑定も積極的に実施しています。昨今は千家十職の買取頻度が高まるなか、稲沢市においても例外ではありません。
【千家十職の善五郎。その知られざる価値】
約400年を有する千家十職において、最も歴史が浅いとされる善五郎。千家十職に認められたのは1780年前後のため、その歴史は250年といったところでしょう。約400年の歴史を誇る他の千家十職とは肩を並べることはできないものの、その伝統は現代まで継承されています。とはいえ、土風炉師としての歴史は、他の千家十職と遜色ありません。今から約400年前に初代・西村宗禅が善五郎を名乗って以降、9代目まで西村善五郎として受け継がれます。
ところが直系である10代目・了全が18歳のとき、天明の大火に見舞われ西村家は全焼。了全は千家十職の名門である9代目楽吉左衛門・了入から陶技を学び、土風炉師との兼用で活路を見つけます。その際、樂家=樂焼と区別するために「永樂善五郎」を名乗ったとされています。この了全の働きは千家十職にも認められました。
了全以降は土風炉師にとどまらず、茶碗を中心とする茶道具の伝世品(古くから実用されてきている日常的かつ歴史的作品)も多く残していきます。
千家十職には、土風炉・焼物師「永樂善五郎」以外に、指物師「駒澤利斎」、楽焼茶碗「樂吉左衞門」、表具師「奥村吉兵衛」、一閑張細工師「飛来一閑」、塗師「中村宗哲」、袋師「土田友湖」、鋳師「中川浄益」、釜師「大西清右衛門」、竹細工・柄杓師「黒田正玄」の中の職家が表千家・裏千家・武者小路千家の家元に仕えております。稲沢市にお住いの方で千家十職の作品をお持ちの際は、是非お茶道具買取専門のえんやにお声がけ下さいませ。
茶道具は歴史を有するものですが、稲沢市での活動に見られるように、近年は茶道自体が気軽かつ身近に触れ合える存在になりました。茶道具・茶器・煎茶器を売却する際は、ぜひ茶道具買取えんやまでご用命ください。丁寧に対応させていただきます。
実は、古代中国・朝鮮の茶道具、はたまた日本の歴史的な茶器の買取が多いのも、愛知県稲沢市という土地柄ならではの特徴です。主な買取例として、中国古染付茶器や南蛮古陶磁器、安南茶器、朝鮮茶碗、桃山茶陶などが挙げられます。おかげさまで中国製や朝鮮製などに見られる、時代特有の査定および鑑定ノウハウにも定評をいただいております。茶道具・茶器・煎茶器の売却をご希望される際は、安心してご連絡ください。